あらすじ

 時代は明治から大正。あの歌に有名な 野口雨情 作の詩から遡ること二十二年前、みちのく秋田からアメリカへと渡った十二歳の少女、ハツが辿った人生の物語である。


 明治十九年の冬は歴史に残るほどの豪雪であった。明けて明治二十年、三月になっても吹雪く日が続いていた。
 そんなある日、吹雪で出先から帰って来れない専蔵(ハツの父)が不在の時、この物語の発端となる不幸な事件は起きた。
 後添えとして専蔵のもとへ嫁いで来たふじ(ハツの生母)とその存在を疎ましく思っている姑のウメの二人に起きた諍いが継娘の初を死なせてしまったのだ。
 すべての罪を背負い、刑務所へと収監されたふじのお腹の中には新しい命が宿っていた。


 ふじの生い立ちは不幸なものであったが、専蔵と出会い、想い合い、そして結婚。ウメとのことはあっても、継子の二人との仲も良く、そして結婚の翌年に男の子(ハッの兄)を出産。あの不幸な事件が起きるまで、つかの間ではあったが幸せな日々であった。

 終身刑の判決を受けたふじ。明治二〇年の十一月四日、獄中で女の子を出産、カタカナでハツと名付ける。
 しばらくして面会に来た専蔵に、生まれたばかりのハツを差し出すも専蔵はその場から逃げ出す。絶望感が漂う。

 ミス・カラ・ハリソンが宣教師として秋田に赴任したのは事件の前年のことであった。布教活動をしながら秋田英和学校を設立するなど、さまざまな活動を精力的に行っていた。
 ある日教誨師として刑務所を訪れたミス・ハリソンは赤ん坊の声を耳にする。看守から事情を聞き、ふじと面会したミス・ハリソンはハツを引き取る決心をする。

 囚人の子として生まれたハツへの心ない揶揄はあったが、ミス・ハリソンの熱意に共感した人々の協力を得てハツは育てられていく。そんな一人に川井運吉という教え子がいた。
 学校へ入学する年齢になったハツに危惧を感じたミス・ハリソンは、まだ独身の運吉にハツを養女にしてくれるよう頼む。
 決心した運吉は、実家から分家し、ハツの戸籍を移した。ハツは川井ハツとして学校に通うことになった。

 明治三十年十一月二十四日。ハツの生母ふじ逝去。
 その二年後、日本での布教活動の期限が迫ったミス・ハリソンは、ハツを連れて帰国することを決意する。アメリカに連れて行く前にと、ハツを連れハツの実家である大口村へ・・・。
 ハッ十二歳の時、ミス・ハリソンに伴われ、横浜の波止場から船でアメリカへと渡った。

 ハツが最初に暮らしたアメリカの地はロスアンゼルス。正式にミス・ハリソンの養女となったハツはコラ・ユリア・ハリソンの名を与えられる。
 同地で中学、高校、大学と進んだが、大学を卒業する頃には、排日運動の嵐が吹き荒れ、就職もままならず、二人は日本人移民の多いハワイへと移る。

 ホノルルで師範の検定試験を受け合格したハツは、公立学校の教師になった。同時にミス・ハリソンと共に当時虐げられていたハワイの日本人移民と深く関わっていく。そんな中にはほのかに想いが沸き立つような出会いもあった。

大正十一年、耕地労働者や学校の生徒の間に肺結核が流行した。そうした人たちの支えになろうと頑張っていたハッ。
 同年四月三十日、ハツはいつものようにミス・ハリソンに手を振り、出かける。

 病院のベッドに横たわるハツ。傍らにいるミス・ハリソンに「ママお先に・・・」と一言。 享年32歳。


 ハツの死後ミス・ハリソンは宣教師の座を退き、七十八歳の生涯を閉じるまで、日系人のための奉仕活動を続ける。
 今、アメリカ人の母と日本人の娘はヌアスの墓地で仲良く並んで眠っている。そして、ハツが通った尋常高等小学校の跡地にミス・ハリソンと共に立っている。(秋田の赤い靴像となって・・・

 本編の中では、セミドキュメンタリー映画ならではの様々な人間ドラマが展開されます。秋田の風景や聞き覚えのある秋田民謡、所縁の曲などが網羅されます。

 本映画の完成・・・どうぞご期待ください。